Surfaces of Time
2020
何かしみじみと美しいものを見たくなって行った「ときの忘れもの」で開催中の宮森敬子<Surfaces of Time>(邦題は<集められた時間と空間の表面たち>)展。宮森は樹木の幹に透けるほど薄い雁皮紙を当てて、焦がした木片で「樹拓」を採る。
幾ら重ねても厚みがなく、幾ら集めても重みもなく感じられる半透明の白い紗。そこに薄墨を散らしたように見える「樹拓」で、宮森は壁面を覆い、吊り下げられた子供用ベッドを覆う。ベッドの上には淡紅色の薔薇の花びらが敷かれている。「樹拓」は壁や額縁に一部が糊付けされているときには、わずかな空気の流れに揺れて記憶のなかのカーテンのようだ。また鳥籠や地球儀や木の枝をしっかりと包み込んでいるときには、その品を保護する皮膜のように感じられる。
年輪が文字通りそうであるように、「樹拓」もまた樹木が生きてきただけの時間を暗示し、またそれが作家の住むNYやギャラリー近くの六義園で採られたという話を聞けば、コロナ禍で否応なしに隔たってしまった地球上の空間の果てしのない距離が心に染みる。
あえかな白と灰色と薔薇色の繊細さに何かを思い出すような気持ちにとらわれ、しばらく考えて、それが最晩年の大野一雄の白い衣装をまとった痩せた身体の、舞踏とも呼べないような微かな動きだったことに気がついた。
もう1つの符合。私の手元に古い淡紅色の透ける絹のスカーフがある。桜の樹皮で染めたものだと聞いた。茶色の樹皮に花の色が潜在していることに驚いた記憶がある。一方宮森の「樹拓」は桜の木とは限らないから、淡紅色がそこに潜んでいるはずはない。だが今回の展示でほとんど唯一の色彩は薔薇の花びらの薄紅色であり、出品作の一つ、「樹拓」で覆った古いタイプライターは、roseという単語を打ち出して、この単語をタイトルとしている。
鈴木杜幾子(すずき ときこ:美術史家)
コロナの影響により、ギャラリーへの入場が制限されました。美術評論家の小泉信也氏とアーティストの宮森敬子氏によるギャラリートークをオンラインで開催しました。