パート I - ポートレートシリーズ

2019 -現在

 
 

宮森敬子の祖母の家族は第二次世界大戦で二つの国に引き裂かれた。祖母の祖国と家族とのあいだに生じた葛藤は、彼女自身のみならず、その子供達、更に孫達の人生にも影響を及ぼしている。 この祖母の存在、二つの国で生き、そのいずれからも完全に受け入れられることがなかった、と感じたのではないか、という仮説が、表層のその奥に何が潜むのか、を問う宮森の創造的視点と結びつくこととなった。 宮森は表層の下にある、幾層もの層を丁寧に引きはがしながら、私たち人間の社会的文化的構造を支えている、 ある複雑な関係性を理解しようと努める。

2019年、BankART1929のレジデンス・プログラムに参加するため故郷横浜へと戻った宮森は、会場となる駅倉庫で、兼ねてより着想のあった「Portrait(肖像画)シリーズ)」の制作を開始した 。次々と生み出される自然界のある瞬間の表層を、ツリーロビングによって彼女は和紙に写し取っている。 各ポートレートは、層状に重ねられた半透明の和紙が流れるように吊るされ、重なった下の層の模様が透けて見える、和紙と木炭の重層的かつ流動的な作品となっている。

 
私の肖像 No. 2.  和紙、木炭、アクリル、チョーク、亜麻布 於BankART1929ステーション 2019年 195 x 163 cm

私の肖像 No. 2.  和紙、木炭、アクリル、チョーク、亜麻布 於BankART1929ステーション 2019年 195 x 163 cm

 
肖像なるもの 於mhPROJECT nyc ニューヨーク 2019年

肖像なるもの 於mhPROJECT nyc ニューヨーク 2019年

 
私の肖像 No. 1  2019年  和紙、木炭、アクリル、チョーク、亜麻布 213 x168 cm

私の肖像 No. 1 2019年 和紙、木炭、アクリル、チョーク、亜麻布 213 x168 cm

 
 
 

“ … そのような類似性を明確に意識した鑑賞者は、自身の中にも宮森の作品と同じような層の軌跡、集積があることに気がつくはずである “

 
 

和紙に木炭で写し取られたモノクロームのツリーロビングは、決して派手な様相を呈さない。一見するだけで激しい印象を示すことのない画面は、人の記憶の儚さに似ている。それぞれのポートレート作品は、まるで同じようにも見えてくる。そのような類似性を明確に意識した鑑賞者は、自身の中にも宮森の作品と同じような層の軌跡、集積があることに気がつくはずである。

 
 
 

パート II - ある小説家の肖像

2019年

日本でプロジェクトの準備に取り掛かっていた時、宮森は近代日本文学の基礎を築いた作家のひとり、有島武郎の旧別荘で展示を行う機会を与えられた。

日本文学における主要的存在である有島の幅広い学識に魅せられたこと以上に、宮森は有島の生活した都市の軌跡が、自身のものと相似していたことに驚いた。これは全くの偶然であり、100年余の隔たりがあったものの、宮森には、二人それぞれが持つ表層下の幾つかの層が、交わるようにも感じられた。

有島に関わる都市を、宮森がひとり巡ってツリーロビングを集め、それを層状に関係付けたものが「ある小説家の肖像」という作品である。

 
 
浄月庵入口
浄月庵入口 
「ある小説家の肖像」展は、有島が愛人と自害した、彼の夏の別荘であった浄月庵で行われた。現在この歴史的建造物は、三笠の土地から軽井沢高原文庫の敷地内に移築されている。また、このシリーズのために使用された木炭は、宮森が三笠の跡地に取材に行った際、不思議にも現場に落ちていたもので、展示品の一つとなった。その他有島由来の土地から集めた樹拓を使った額入りの肖像シリーズ、有島に影響を与えた本の一部に和紙カバーを施したもの(訪問者が座って読むことができる)など、計80展あまりの作品が、有島自害に関する当時の新聞記事などとともに展示された。
ある小説家の肖像ー有島農場  2019年   和紙、木炭、木   31 x 39 cm

ある小説家の肖像ー有島農場  2019年   和紙、木炭、木   31 x 39 cm

 三笠(浄月庵跡地、有島終焉の地)から見つけた木炭

 三笠(浄月庵跡地、有島終焉の地)から見つけた木炭

 
浄月庵を訪れ、樹拓カバーのついている有島関係の本を読む人たち
浄月庵を訪れ、樹拓カバーのついている有島関係の本を読む人たち
 

パート III - 肖像なるもの

パート I 、および II は私たちのつながり、交差、および層状に重なった記憶についての表現であったが、ポートレートシリーズのパート III は記憶が変容してゆく様を扱っている。 パート III で、宮森は彼女のオリジナルシリーズで見られる、各記憶を表すいくつかの番号コードを引き裂き始めた。 時間が経つにつれ、私たちの記憶と結びついた感情は変化する。

私の肖像 No. 2 (変化形)

私の肖像 No. 2 (変化形)

私の肖像 No. 3 (変化形) in 肖像なるもの 於hPROJECT nyc ニューヨーク 2019年

私の肖像 No. 3 (変化形) in 肖像なるもの 於hPROJECT nyc ニューヨーク 2019年

 

宮森はmhPROJECT nycで行われた「肖像なるもの」という展覧会に於いて、コンテンポラリーダンサーのムツヨ・アイザックスを招待した。 アイザックスは、阪神大震災で家族全員を失ったという過去があり、彼女自身の記憶を振り返りながら、その辛い歴史を浮かびあがらせた。1995年1月17日、日本の兵庫県南部で、1日に4,500人以上の命が奪われた壊滅的な地震に見舞われた。

肖像なるもの インスタレーション風景 於 mh PROJECT nyc ニューヨーク 2019年

肖像なるもの インスタレーション風景 於 mh PROJECT nyc ニューヨーク 2019年

たなびく極薄和紙を何枚も重ね空間を移動しながら、アイザックスは喪失の物語を語り始める。 彼女がキャンバスに近づくと、和紙は彼女の体のエネルギーに動かされ、その多重の層の波が、その空間にいる人々とのつながりをも生み出した。 彼女は、それぞれの作品の和紙の層の中に掛けられていた、和紙に包まれたフレームを別の場所に移動し続けることで、最終的に一つ一つの記憶をリリースする前に、それらの思い出に焦点を当てているようだった。 樹拓をとることが宮森自身の傷跡を癒す方法であったように、宮森の芸術は、その空間を共有するものに、それぞれの記憶に関連する感情を解放すること、それによって、彼ら自身にある変化をもたらす、という場を提供する。

 
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ムツヨ・アイザックスによるフォーマンス風景 於 mh PROJECT nyc ニューヨーク 2019年

ムツヨ・アイザックスによるフォーマンス風景 於 mh PROJECT nyc ニューヨーク 2019年